伝説の職人、左 甚五郎

日本古来の歴史的建造物は数多くあり、国宝や重要文化財に指定されている建造物が数多く見られます。

そのような建造物のひとつが日光東照宮ですが、この建造ぶちは眠り猫で有名です。

そして東照宮の眠り猫と言えば、左 甚五郎と連想されるほど、左甚五郎の名前は知られています。

厳密に言えば、左甚五郎は江戸時代初期の彫刻職人ですが、実在していた人物なのか架空の人物なのかは説が分かれるところです。

しかし、実祭の人物か伝説の人物かとなりますと、伝説の職人のほうが夢があります。

何故、左という姓なのかについての理由については、講談などでは、甚五郎はあまりにも優れていたので、それを快く思わない地元の大工が妬んで甚五郎の右腕を切り落としたからだとされています。

この話は講談でのことですから、定かではありませんし、別の説では甚五郎は元来左利きであったため、姓を名乗る時に左を使ったとのことです。

いずれの説も左 甚五郎の名を傷つけるようなことはなく、現代に生きる私たちは、←甚五郎の作と言われる作品を見る時に、無限の日本職人の素晴らしさを感じます。

なお、左 甚五郎の眠り猫は余りにも有名ですが、全国には甚五郎の手による彫り物は100ヵ所近くもあることから、当時の交通事情を考えるととても同一人物が諸国を回ったとは考えにくいのと、これらの作品が安土桃山時代から江戸時代の後期の製作だとされることから、これらの作品は左 甚五郎という名前が腕の優れた職人の代名詞として使われていたと考えるのが順当だと言えます。